brevaxen

brevaxen の知財関連ブログ

せっかく弁理士試験に合格し、その後の実務修習を終えられたのに、弁理士登録されない人がいらっしゃいらっしゃるようです。実務修習の費用を捻出できたのが精一杯で、登録までの費用が工面できないとか、やっぱり弁理士としてやっていく自信がないという理由もあるようですが、今の職場のまま弁理士登録すると、今の職場から辞められなくなるという人もいらっしゃるようです。例えば、特許事務所長が高齢で技術のことがよくわからないまま外国出願がクライアントから依頼されて、所長から中間処理を任せられていると、辞めようと思っても「全部の案件の中間が片付くまで弁理士である君の責務だろう」と言われてしまい、辞めるタイミングというかせっかく見つけた事務所への転職へのタイミングを見過ごさざるを得ない事務所があるようです。本当に怖い世界になってしまいましたね。

特定農林水産物等の名称の保護に関する法律によって、特定農林水産物等の名称の保護を受けるために「地理的表示」として登録申請できるようになりました。これに伴って、特許事務所の中にも地理的表示の登録申請の代理をする旨のウェブページを閲覧可能にされているところが出てきました。

しかし、弁理士は、地理的表示の登録申請の代理はできるのでしょうか。弁理士法75条によれば、

弁理士又は特許業務法人でない者は、他人の求めに応じ報酬を得て、特許、実用新案、意匠若しくは商標若しくは国際出願、意匠に係る国際登録出願若しくは商標に係る国際登録出願に関する特許庁における手続若しくは特許、実用新案、意匠若しくは商標に関する行政不服審査法 の規定による審査請求若しくは裁定に関する経済産業大臣に対する手続についての代理(特許料の納付手続についての代理、特許原簿への登録の申請手続についての代理その他の政令で定めるものを除く。)又はこれらの手続に係る事項に関する鑑定若しくは政令で定める書類若しくは電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他の人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。)の作成を業とすることができない。

と定められており、おおまかに書くと、弁理士でも特許業務法人でない者が他人の求めに応じ報酬を得て

  • 特許
  • 実用新案
  • 意匠
  • 商標
  • 国際出願
  • 国際登録出願(意匠、商標)

などの手続をすることはできない、と定められているが、この中には、地理的表示の申請については列挙されていないようである。

ということは、地理的表示の申請代理を行なっても、弁理士法には違反しないことになる。

しかし、ここで突然ではあるが行政書士法19条1項を読んでみると、

行政書士又は行政書士法人でない者は、業として第一条の二に規定する業務を行うことができない。ただし、他の法律に別段の定めがある場合及び定型的かつ容易に行えるものとして総務省令で定める手続について、当該手続に関し相当の経験又は能力を有する者として総務省令で定める者が電磁的記録を作成する場合は、この限りでない。
とあり、「第一条の二」には、

行政書士は、他人の依頼を受け報酬を得て、官公署に提出する書類(その作成に代えて電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)を作成する場合における当該電磁的記録を含む。以下この条及び次条において同じ。)その他権利義務又は事実証明に関する書類(実地調査に基づく図面類を含む。)を作成することを業とする。

とある。地理的表示の登録申請するには、特定農林水産物等の名称の保護に関する法律の7条により農林水産大臣に申請書を提出しなければならず、行政書士行政書士の独占業務の一つではないかと思うが、どうなのだろうか?したがって、弁理士の資格だけでは地理的表示の登録申請を行うと、行政書士法違反となるのではないだろうか?



今年の弁理士の日記念ブログのお題は、「知財業界の職業病」とのことです。先日、大学の授業で、宗教についてちょっとだけ勉強したので、うまくいくかどうかわかりませんが、トライしてみます。

明細書を書き、拒絶理由通知書・拒絶査定のコメントを書いては応答をし、案件が事務所を介して出願人様と特許庁との間を行きつ戻りつし、いわば輪廻のように段階が経ていくのを見ながら、案件が輪廻を解脱するために、出願人様にはその案件ごとに悟りを開いていただけるよう、日々励んでいます。

出願案件が多くなると、こうすれば解脱できたので、ここはこうすべきだ、とか、こうしたらダメだったので、そこはこうしてはいけない、という知識が豊富になり、いつの間にか、これらが絶対的な規則として守らなければいけないということになられた方々が知財業界には多いように思われます。それはあたかも、古代イスラエルでファリサイ派が、日々の生活で事細かに、律法を厳守していたのに比肩できるかのようです。

ということで、知財業界の職業病は、病と言えるかどうかはおいていて、徹底した「律法主義化」ではないかと思います。



イスラエルは義の律法を追ひ求めたれど、その律法に至らざりき。なんの故か、かれらは信仰によらず、行為によりて追ひ求めたる故なり。彼らは躓く石に躓きたり。
(ロマ人への書9章31〜32節:日本聖書協会)

↑このページのトップヘ